映画 #ダーティー・ハリー に学ぶ #適正手続き
名作「ダーティー・ハリー」を見てない人はいないだろうから、映画のあらすじは省略するよ。
何?見たことないだって?
有料だけど、ここで見られるから、是非見てみたマイ。
ハリー(イーストウッド)の必死の活躍で、犯人を逮捕したが、被害者の少女の命を救うことは出来なかった。
というところで、検事室での会話だ。
検事:
君たち警官にドアを破っていい権利があると思うのか?
容疑者を拷問したり、医者の手当てや弁護士を拒否できるのか?
容疑者の権利はどうした。憲法の修正条項は知っているだろう。
どんな犯罪者にも権利があると言うことだ。
ハリー:私があの男の権利を踏みにじったとおっしゃるんですか。
検事:そのとおりだ。
ハリー:じゃ、釈放ですか。
検事:仕方がない。裁判にはならん。
ハリー:何故です?
検事:
勝ち目のない裁判に、納税者の金を50万ドルも無駄遣いできないんだ。(※)
こっちには、なんの証拠もないんだよ。
ハリー:証拠が?いくらでもあるじゃないですか。
検事:なにもない。ゼロだ。
このライフルが殺人の凶器だと分かっていても、証拠としては認められないんだ。
ハリー:誰が言ったんです?
検事:法律だ。
ハリー:じゃ、法律がおかしいんです。
検事:こちらは、判事だ。バークレー法律学校で教鞭を執っていらっしゃる。
判事:
私の意見としては、まず、容疑者の部屋の捜索は違法だった。
したがって、それで得た証拠は、例えばそのライフル銃などは、法廷では認められないのだ。
捜査令状をとるべきだったな。
気の毒だが、それが法律だ。
ハリー:捜査令状?少女の命が掛かっているのに?
検事:検視報告に寄れば、彼女は既に死んでいたんだ。
ハリー:でも、こっちは知らなかった。
判事:
裁判所は、刑事が少女の命を真剣に心配したことは当然認めるだろう。
しかし、警察が行った拷問は大目に見ては貰えないぞ。
あの少女に関する全ての証拠は容疑者の自白だが、
任意性がないから、まず、証拠には取り上げられないだろう。
ハリー:何とかして有罪にできないんですか?
判事:
銃を証拠として使えず、少女も死んだのに?
どこを、どうつついても、有罪の線はでてこないね。
それに、容疑者の権利の侵害は、今度の場合、
憲法の修正条項の第4条、第5条、それに第6条にも違反しているな。
ハリー:死んだアンメリーの権利はどうなります?
暴行され、生き埋めにされた彼女を代弁するのは?
検事:この地方検事局だよ。
私にも妻と3人の子どもが居る。
君以上にあいつを野放しにしたくない。
この映画は1971年。
キャンディーズ歴で言うと、BC(before Candies)2年だな。
50年も前の映画だ。
日本の刑事司法は、この映画より半世紀以上遅れている。
まだまだ、このレベルに到達していない。ほど遠いと言っても過言ではない。
(※)アメリカの刑事裁判って、訴追側に、そんなにお金が掛かるんですか?